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  モータースポーツ編 ・ レース 1

 
 

 
グループC MAZDA757 1989〜90             
このマシンはマツダスピードからプライベートチームに払い下げになった、1987年ル・マンでGTPクラス1位に入賞したシャシーNo104その物です。 

オーナーが変わり別のチームでしたが、同じマシンのハンドルを3レース握る事ができました。一度だけクラス3位でした・・・

当時、MSでマシンの製作にも係わっていましたので、燃料系トラブルが発生した時も、コース上で自分で修理してピットに戻った事も有りました。

持ち寄りチームでの参加だった為、色々な意味で、消化不良なレース参加になってしまいましたが、その後のレース活動の為には良い経験になりました。          


 

   
←このレースは濃霧の為
予選だけで、中止になって
しまいました。


↑マツダ契約ドライバーのD.ケネディー氏とスタート前のツーショット

 
 

 
アメリカンフォーミュラー FC45 1991             
このマシンは九州・大分県に建設された、サーキット・オートポリスの独自のフォーミュラー・レース用マシンで、排気量4500ccのアメリカンV6エンジンを搭載し車重635Kgに対し350ps/43kgmの性能で、サイズはF1より大きく、ソリッド・デフでとても癖の強い車でした。

強烈なトルクは、わずかなアクセル・ワークにも反応し、ドライバーに嫌でも攻めた走りを要求しました。

1シーズンでバブル崩壊と共にレースは無くなってしまいました。

今まで乗ったレースカーで、一番パワフルなマシンでした。 


 

←シーズン途中に当時のF1ジョーダンカラーに似たカラー
リングにしました。

   
↑福岡に住んで居る元MSの後輩がメンテを手伝ってくれました (左側)

右の人物は当時、学生でしたがその後レース界に就職しました。


 
全国から色々なドライバーが参加していました。F3000やJSPCに参加している中堅の方々や、若手のF3ボーイズ等々・・・

マシンの癖はとても強く、巨大なカートの様でした。
リアがソリット゜デフでしたから、とにかくアクセルを踏んでパワーを駆けて行かないと、強烈なアンダーステアに悩まされます。
踏めばふんだで、これまた強烈なトルクで加速しましたから、気合を入れて踏んで曲げる走り方をしないと、とてもタイムを出せませんでした。何とか走って、画像のポジション・・・ たしか予選・決勝とも10位前後だったと思います。

シーズン前半は、まずまずの成績でしたが、後半はエンジンの具合が悪く、まともに走れなくなって、今一・・・・。  サーキットのレンタ・マシンでしたからあまり無理も言えない環境でした。
でも、予選を通過してスターティング・グリッドに並べるだけで、スターティングマネー 30万がもらえる、美味しいレースでした。
しっかし、オートポリスは遠かった・・・・・