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  モータースポーツ編 ・ レース 3





筑波で開催されていた、グランドナショナル・ストック カーレースにも参加しました。

このレースは トランザム ・ カマロ ・ セド リック ・ルーチェ ・ ローレル などの普 通車クラスやフルサイズセダンを改造して行われる迫力満点のレースです。

コー スは筑波サーキットを左回りに走り、ストレートの中央でショートカットして、ダンロップブリッ ジの所に戻る、ショートコースを使用していました。


第1コーナー(最終コーナー)に並んで登って行くの も、大きなボディーを振り回す事も、他のレースでは体験でき無い面白さが有りましたが、 数年後このレースも、普通の右回りに変更になりました。

私が乗った車は、マツダ・ディーラーのレース仲間
の所有する。13Bペリのロータリー・ルーチェで、
製作の時から手伝っているマシンです。

予選は3位、決勝レースは、トップのセドリックと一騎打ちになり、レース後半はトップを走るりましたが、
ゴール2周前にドライブシャフトを折り、リタイヤ。


結果はとても残念でしたが、ビッグパワーでスリックタ イヤの箱 車を経験した事は、その後のレース活動で、GT選手権に参加した時、意外とに役にたちました。

又、このレースは「カーグラTV」で放映されました。

予選1番の黄色のセドリックに車載カメラを積んでいたので、この車をパスして、私がトッ プになってからは、REルーチェの後ろ姿がタップリ全国放映されました。(見た人は少ないと思いますが・・・ )

←トップは私、赤い車は周回遅れ、黄色が2番手






富士ロングディスタンス・シリーズに参加

当時、富士の耐久レースで有名だったのが 
LDシリーズ。 500マイル・1000km・ 500km
の3レースでした。


当時は、グループCカーを中心に、Gr5、N2、RS 等のマシ ンが 参加でき、色々な車が走っていたので
見ている側も面白かったとおもいます。

ただ雨のレースが多かったのが残念でした。

普段は筑波のスプリントレースに使用していた、私のウエスト85Sですが、給油装置などの耐久レース用パーツを取付けて、マツダのディーラー仲間と一緒に参加しました。

一緒に組んだドライバーの玉本選手も当時は私とは別の営業所のサービス課の勤務でした。
のちにGT300クラスでシリーズチャンピオンに成る
など、当時は想像もできない状況で、ただガムシャラにやって居ただけの様な気がします。



当時の富士スピードウェイのピットは、カウンターがあるだけのスペースで、中に車を入れる事もできず、ピットロードとコースの境もガードレールが2枚有る だけでした。

鈴鹿でも、F1が開催されるまでは、同じレベルのピットでしたし、WEC JAPANでポルシェやランチアなどのワークスチームが来たときも皆、同じ環境 で レースを展開していました。
ワイルドでサバイバルな時代でした。