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レースデビューは1982年の富士フレッシュマン しかしデビュー戦で、予選二位、決勝は優勝!!! なんと、デビュー・ウィンを飾ってしまいました。 このBD1051型ファミリアはマツダの歴史の中でも大ヒットした車です。 |
| FISCOは学生時代から、ナンバー付きの車で走り
込んでいましたが、いざレースとなると、練習時とは ちがう超接近戦をゴールまで、5〜6台で戦うハード さが有り、さすがにデビュー戦ではビックリしました。 ファミリアはスリップ・ストリームが凄く効くので、ストレートは6台が3列でダンゴになって走り、 第1コーナーで少しバラけるといった常態の連続・・・・ 前後・左右の車間距離が30cm以内のダンゴ走行は 富士のハコのレースでは名物?かも知れません。 画像は1983年の物です。 |
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2シーズン参戦し、RJロータリーにステップアップした後もスポットで参戦 車は当時の彼女、今のかみさん
の所有車です。
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後ろの黒シャツの人物は元MSの後輩で、Cカーのメカニックを経験後、アメリカに渡りロッド・ミレンのチームでパイクスピークのマシンのメカニックになったとか・・・ 今はどうしてるかな? |
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レース参加二年目の終わりに、本格的なレースカー を中古で購入、自分でフル・メンテして参戦 ポールポジションの、となりのマシンに乗るドライバーは、中川隆正選手です。 数年後、ウエスト・レーシングカーズのフルメンテで同じチームで走る事も有りました。 サポートの人物はその後、色々なレースで協力してもらう事になったが、当時は想像も出来なかったなぁ〜
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| 84年、RJロータリーレースにステップアップ、参加3戦目に予選2番手をゲット。 私の マシンはウエストの83SK ゼッケン7です。 となりのマシンは新型のウエスト85Sです。
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スタートダッシュでトップになり周回。
トップ集団は3台で形成され、一時3番手に落ちた時も有ったが、終盤立て直し、トップとテールtoノーズになる常態で2位でゴール。 後方集団は100Rで多重クラッシュが発生しまだ見えない。 富士で35秒台の15周レースは初めてだったので、ペース配分(スタミナ不足)を初めて感じたレース。 モーター・スポーツって、スポーツだね!? |
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RJ/SJクラスのちにRSと呼ばれるシングルシーターのボディー・カウル付きのレーシングカーです。 180馬力前後のエンジンで、車重500キロでしたから、F3と同等の性能の中間カテゴリーのレースでした。 マシンは ウエスト・レーシングカーズの85S |
レーシングスーツは当時マツダのワークス・ドライバーの従野選手の御下がりを着ていました。 その当時マツダスピードではラッキー・ストライクカラーの757を走らせていましたので、前のスポンサーのNIKONカラーである黄色を多用しています。 この頃は富士500km耐久レースなどのビッグレースの前座で走る事が多かったです。 |
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この頃、ウエスト・レーシングカーのライバルとして、オスカー・レーシングのSK85が増えて来た。 当時のRJ/SJマシンとしては他に、マナティー、マキシム61S、鈴鹿ではコラージュなどの少数派も参戦していた。 |
RJシリーズは筑波でのレースが主で、一時期は予選落ちが発生する程盛り上っていました。 当時このクラスでは破格の優勝賞金50万、シリーズチャンピオンは100万の賞金でしたから、当然だったかも知れません。 トップは私です→
ポール・ポジション、入賞は多数有りますが、なかなか優勝できませんでした。 優勝できる様になったのは、マシンをSK90にしてからです。 |
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